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ノウァティアヌス (対立教皇) : ミニ英和和英辞書
ノウァティアヌス (対立教皇)[すめらぎ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つい]
 【名詞】 1. pair 2. couple 3. set 
対立 : [たいりつ]
  1. (n,vs) confrontation 2. opposition 3. antagonism 
教皇 : [きょうこう]
 (n) Pope

ノウァティアヌス (対立教皇) : ウィキペディア日本語版
ノウァティアヌス (対立教皇)[すめらぎ]

ノウァティアヌス(Novatianus, ? - 258年)は、コルネリウスルキウスステファヌス1世シクストゥス2世の4代にわたっての対立教皇である(在位:251年 - 258年)。
== 生涯 ==
ノヴァティアヌス派の創始者で、改宗キリスト教徒であった。著書に「三位一体論」がある。
250年1月にファビアヌスローマ皇帝デキウスによって殺害されると、次の教皇であるコルネリウスが選出されるまで14ヶ月の空位期間があったが、このとき実質的にローマ教皇として職務を遂行したのが当時ローマ教会の長老だったノウァティアヌスであった。このため、次の教皇として期待されていたが、251年3月にコルネリウスと教皇選挙で戦って敗れた。しかし教会の一部ではノウァティアヌスを教皇として見なす者も多く、彼は対立教皇として擁された。
258年にローマ皇帝のウァレリアヌスの迫害を受けて殺害された。
生前にはローマ教会会議で正統性を否定された。死後67年たった325年に開かれた第1ニカイア公会議でもその正統性を否定されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ノウァティアヌス (対立教皇)」の詳細全文を読む




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